大阪生まれ、大阪育ち、平凡なサラリーマン家庭で生まれ育った4人家族の次女、現在51歳です。
今は80代の両親、4歳上の姉、10歳下の夫、中学生、小学生の娘、私を含め7人で暮らしています。
50年も生きてりゃ紆余曲折 いろんなことがありました。
ここで一旦振り返る時間を持たせていただきました。
高卒から大手都市銀行員、からの社長夫人、からのシングルマザー
大企業に勤める父は安定志向が強く、父は私に大企業に就職することを強く勧めました。
言われるがまま大手都市銀行に就職、窓口業務を7年勤め、銀行のお得意様からの紹介で中小企業の社長さんと結婚が決まり円満退職。
父が娘に望む王道を私は何の疑問もなく進んでいました。
しばらくして長男を授かり、元夫、元夫家族は後継ができた!!とそれはそれは大喜びでした。
が…
たくさんの事情があり長男が6ヶ月になった頃、私の絶対譲れないもの「親権」を確保し、元夫と離婚が成立。突然私はシングルマザーとなりました。
この子は私が立派に、そして幸せに育てる!!

そういう思いはあるものの、高卒銀行員の職歴、0歳児育児中の身、なかなか仕事が決まりません。
その当時、私は28歳。
諦めるのはまだ早い。今からでも食いっぱぐれない仕事に就くことはできるはず。
そう思えたのも、長男がいたから、長男が力をくれていたからだと今では感じます。
乳飲子を抱え中学校、高校の教科書を引っ張り出し、まずしたこと。
それは1月にある看護学校の入試に向けて、看護学校入試に特化した入塾でした。
入試まで半年の期限を有す7月に入った頃のことでした。
看護学校受験に向けて
そうと決まれば時間もお金もかけられない。
私は実家に出戻り両親にサポートを依頼しました。
世間体が気になる父は私が出戻ったことをあまり快く思っておらず親族には気づかれないようにしているのがわかりました。
それでも孫と過ごす時間を大事にしてくれていてそれはそれはありがたかったです。
1月に向けての勉強の中、11月に社会人枠での入試があることを知ります。
社会人枠??
どこかの会社で勤続5年の経歴があれば入試科目を減らして受験できるよ
というなんとも私にピッタリの受験コース。
手のかかる長男を育てながらの勉強はなかなか捗っていないのが現状だったので少しでも私の職歴が優位に働くのなら助かる!と、すぐに申し込みました。
あっという間に11月、ほとんど勉強する時間もないまま、入試。
英語、数学、国語、面接という内容。面接の前にお昼休憩を挟みます。
英語の試験で『首の長い動物は何ですか』という問いがあり、『キリン』であることはわかったものの英単語がわからない。『elephant』と記入した私。
きっとみんなわかってないよね〜と、お昼休憩の時に前の席の人にお声をかけました。
『ねぇねぇ、キリンって英単語、わかった?』
わからないよね〜。という返しを期待した私。
『giraffeですよね』
打ちのめされる…。
こりゃ、ダメだ、落ちたな。
それでも1月までまた頑張ればいいと思える状況であることに救いがありました。
試験が終わってからもう一度仕切り直しで勉強再開。
なんといっても子供の人生がかかっている、生活がかかっている。
学生の頃とは違う勉強との向き合い方でした。
乳飲子もよちよち歩き初め、ますます目を離せない中での受験勉強中、突然きた連絡。
やったーやったー。受験勉強おしまいーーー。
これからの始まりに目を向けず、ただただ今の開放感に大喜びでした。
育児と看護学生と看護師1年生
10年ぶりの学生生活の始まりました。
勢いで看護学校入試を決めた私を後悔しました。
「この子を育てるのに、何も看護師でなくても良くない?」
そんなことまで思って楽な方、楽な方に逃げようとしていたと思います。
覚える知識が多すぎて取らなければいけない学科の単位、実習の数々。
頭が硬くなってきたお年頃には苦難の日々でした。
そんな中でもほぼ10歳年下の同級生とのスクールライフは“おばちゃん”といじられながらも10歳下のお友達がたくさんできたことは貴重な出会いだったと思います。
覚えることが山のようにある中、出産経験がある子連れ看護学生の私は産婦人科領域では有利でした。
同級生たちからも可愛がってもらった長男、私だけでなく私の同級生からの愛情もたっぷりもらいました。長男の成長とともに私も成長していることを実感できる毎日でした。
私が小さい頃からパチンコ依存症の母とは折り合いが悪く看護学生の間だけでもなんとかやり過ごしたい気持ちでいたのですが、長男の前でも母と喧嘩することもちょくちょくあり、昔からある母との深い溝を埋める努力をすることまでの余力がありませんでした。
こんなことじゃ、長男にも悲しい思いをさせてしまうな、、、
そんな時、私が看護学生3年生、保健所実習でのこと。
保健所の壁に貼ってあるポスターに目が留まります。
『ひとり親家庭高等職業訓練促進給付金』
ひとり親家庭の父又は母が、就業に結びつきやすい資格を取得するために養成機関で修業する際、その期間中の生活不安を解消し、安定した修業環境を提供するために、養成機関修業中の一定期間について、高等職業訓練促進給付金を支給します。
長男のたった一人の大事なおばあちゃんである私の母との関係をこれ以上悪化させないためには関係を断つのではなく適度な距離を持つことが必要。
それは前々から感じていたものの、現実問題は金銭的なところでした。
運よくありがたい制度を発見。給付金を生活費に充てることにし、早速私と長男は実家を出て小さな小さなアパート2人暮らしを始めました。
ひとり親家庭に対する制度は年々変化し続けています。
給付金情報は向こうからはやってきません。
市の広報誌や保健所、区役所、市役所の情報は日頃からチェックしておくのがベターです。
なんとか乗り切った看護学生生活。国家試験に合格し、総合病院へ就職。
初めて私の足が地についた状態にまで辿り着いた。
ここからが私の人生が始まる、そんな気がしました。
長男との人生、長男の成長、それを私の支えに、楽しみに、生き甲斐に、
とワクワクしていたのも束の間。
看護師1年生、看護学校よりも地獄の日々でした。
日勤、準夜、深夜、3交替勤務。
長男との時間はガシガシ削られました。
看護師1年目に人権はない。1年生のくせに休み希望をするなんて。
今とは違う時代背景でもあるのでしょうね。
看護師1年目には発言権はなかったような記憶が残っています。
看護師は人の命を預かるお仕事、そんな生半可な気持ちできる仕事ではない。
それは身に染みて感じました。
看護師1年目は私の人生の中で一番辛い暗黒時代だったと思います。
通勤時、勤める病院の最寄り駅に到着すると同時に自然に涙がこぼれる。
戦地に向かう兵隊さんのようなそんな気持ちで毎日を過ごしていました。

長男の一言で決まった再婚
寝ても覚めても仕事のことが頭から離れない、ナースコールがずっと聞こえる、着信があると病院からの電話ではないか、と怯える。
でも長男と遊んでいると母である自分に戻り、仕事のことを忘れることができました。
4歳、5歳、遊具が大好きなお年頃、公園によく出かけました。
病院で知り合った10歳下の今の夫と知り合い、長男と一緒によく遊ぶようになりました。
長男が「このお兄ちゃんと遊んでいると楽しい。うちにおいでよ」の一言。
そこから今に至ります。
今、考えること
10歳年下の破天荒な夫
野球歴11年、現在陸上自衛隊の長男
野球歴9年目、本気で甲子園を目指し家を出た次男
おっとりな性格な長女
THE 末っ子 次女
4人兄弟、6人家族です。
同居の両親は要介護1 ちょっとしたサポートが必要です。
シングルマザーの姉は娘たちも巣立ち自由気ままを謳歌中。
私は、、、というと
看護師になって、ICU病棟、手術室、外科病棟、訪問看護
あらゆる分野で経験を積んできた、と思ってます。
野球の行事、PTAの役割、4人の子育て、家事、、、、そして仕事。
全力疾走で駆け抜け、記憶も残ってないくらいバタバタな日々。
気がついたら50歳になっていました。
なんだか今まで雑に生きてきたな、そう感じるようになり一旦立ち止まってみることにしました。
私が本当にしたいことは何だろう…。私って何が得意なんだろう…。
全力疾走で駆け抜けた時代をここで振り返る時間、自分を客観視する時間。
そこからこれからの人生の羅針盤を広げていきたと考えています。
人はポジティブな記憶を積極的に思い出すことで幸福感が増すと言われています。
今まで経験した小さな一つ一つ拾い上げてみると気がついていなかった宝物に出会えるのかもというワクワクした気持ちです。
長くなりましたがお読みいただきありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いします。